2013/09/03

中沢新一抜粋、そして、、、?

ちょっとの間インターバルが入った中沢新一を考える、の続き。
いつの間にか、考える、になっていますが。
気になった部分を抜粋してみましたが、だからこれで何を言いたいのかが
なかなかまとまりません。
ので、荒削りですが、そのまま抜粋したものを、、、
ちなみに抜粋先は以下
http://www.1101.com/nakazawa/
さてさて、この先は、、、?


ーーただ、ケンカの強いやつが強かった歴史、
っていうのは、たかだか
1000年2000年だと思います。そうですよ。
西洋が戦争に成功して、
おれたちがその論理的にも
思想的にも
ひっぱってるっていうのは、
たかだか
たいしたことじゃないんですよ。ジャイアン政治ですよね。
ぼくらがのび太政治で。


ーーわたしたち新人の
心の本当の本質、
本物の特質というのを作りあげたのは、
そういう言語の持っている
合理的な面ではなくて
むしろ非合理的な面、
違うレベルのことを
ひとつの言葉で
同時に表現することができたり、
動きが変化しているものを
そのままつかみだしたりするという
能力なのです。


ーー「生と死」というのは一体として
わたしたちの中で
突き動かされているのでありながら、
論理的な思考方法というのを
分離する傾向があるわけですね。

この傾向を異常発達させていくと
都市というのが作られていきます。
都市は、これはどこに作られたものも
そうですが、死に関わるもの、
それから自然の領域に関わるものを
自分たちの生活空間から
外へ排除しようとする傾向があります。

ですから、都市は広場を作り、
石畳を敷いて城壁を作り、
まわりの世界から
自然のプロセスや死の要素が
中へ入ってこないようにしています。
墓地は外へ作りますね。
そういう都市の構造の
おおもとになっているのは、
論理的な思考方法です。
つまり、「生と死」という現実を
論理的に二つに分離できる、
この論理的な能力ですね。

そういうものがあって、
そして「生と死」を対立させて、
「死」を排除するという
思考方法が出てくると
都市の構造が作られてくるようになります。



ーー神は人間の心の中に発生する
絶対的な自由であり、
この自由なものが
わたしたちの心の中を
縦横無尽に飛び回っている。


この一神教の宗教形態は
超越性や人間を超えたものを強調しますが、
この人間を超えたものというのは
実は人間の内部にあるんです。

思考能力を超えたものを見て、理解して、
自分の生活と人生の中に組みこんでいく思想、
これが宗教であるとしたら、
一神教の神の形態というのは
非常に限定されたものの考え方です。
人間の全体性を強く制限したところでしか
生まれてこない神の考え方だというのが
はっきり見えてきます。

もしも
この一神教の考え方、
ユダヤ教、
キリスト教、
イスラム教というものが
宗教であるとしたら
他のすべての人類は
宗教は持たないと考えてもいいわけです。

日本人は無宗教だ、神を持たない、
なんてよく言われますが、
そういう考えは
ひっくり返さなくてはいけない。
わたしたちはよく考えたうえで
一神教の神を持たなかったんです。

2013/08/13

都市の構造

ヨーロッパに移り住んでからかれこれ8年も過ぎる所です。
私が日本を離れたのは2005年でした。
最初の1年はパリ、そしてその後7年間はベルギーです。

デビューの一年目は、なんなく過ぎました。
難なく、というわけではなかったものの、お祭りごととして、
また長い旅のようなものとして、
それこそ線香花火の様に、ジリジリ、パッパッ、プスプスと
燻りながらもあっという間に終わった生活でした。

その後が問題でした。
ブリュッセルへの移動、そして「日常生活」の始まり。
三十数年間、ずーっと東京を離れて暮らした事の無い私にとって
突然のヨーロッパでの日常生活は
今までの私の「営み」とは全く違うものの連続でした。
ぶっちゃけ、8年経った今でも、この土地ではまだ「営む」ことができてないように思います。
最初の数年は、言葉さえできれば何とかなる!と
語学にやたらはげみました。
なるべく日本語には触れないように努力をしました。
でも、それは間違いでした。
言葉ができたとしても、その人の営みというものはそこに築けるものでもありません。
それに気づかないうちに、ムリがたたり私は病気になりました。
コレ、という病気ではなかったけれど
とにもかくにも、いつもいつもどこかが悪く
今までの人生の中でこんなに具合が悪い時は無かった、というくらい
ずーっと具合が悪い事の連続でした。
とにかく何もかもがうまくいかないんです。

今までの様には、、、ということなのだけど。
全くもって本領を発揮することなんて出来なくなっていました。

でも最近、スーッと、少しずつ楽になってきました。
それは、ある事に「気づく」ことが出来たからなんだな、と思えます。
私が東京で築いてきた営み、というものは
あの土地意外では実現し得るものではなく、
他の土地や風土、食べ物のある場所では
そこの場所での営みを新たに築いていく事しかできないんだ、という事です。

「アースダイバー」の著者、中沢新一さんはこんな事を言っています。
「都市の構造っていうのは、
その都市に住んでいる人たちの心の作り方を
そのまま空間の中に投射します。」

http://www.1101.com/nakazawa/2005-12-30.html

確かに、ブリュッセルという都市のあり方は
ココの人々の心を反映しています。
ぶつ切りの寄せ集め。バラバラの精神、
そして小さなお祭りの連続。
食う事も、食われる事も出来ない街。


まあ中沢新一さんの場合は、人の精神や土地の記憶が
縄文時代にまで遡るので
私一人ゴトキの数十年の人生などで
その土地を語ろうなんて言う事はおこがましい事なのかもしれないのですが、、、。

ああ、、、この事を語り始めると
長くなりすぎるのと、まだ頭の中で整理ができていないので
(今日は)この辺でやめてみます。

続きが見えてきた時に、マタ。

2013/08/01

季節外れの、、、

季節外れの、クリスマス。ってことなんですけど
あくまでも北半球目線で言わせていただいております、、、。

ある人から借りた本の中で、著者がクリスマスの思い出をつづっていて、
と、私もあるクリスマスが急によみがえりました。

確か3年前の年末だったと思います。
その年の帰省は1ヶ月半と長めに取ったため
貧乏性の私は、だったら帰省中に仕事!と
事前に色々な所に声をかけてみた所、
デザイナー時代の旧同僚たちが設立した会社で
イラストレーターを必要としている
という話をいただき、3、4週間ほど通勤させていただく事にしてもらいました。

その旧同僚たちとは、あるロックン・ロールなカメラマンが経営している
小さな、でもとても面白い仕事を沢山している
家族経営事務所で一緒に働いていました。

仕事場は社長のご自宅。
小さな竹やぶがある中庭が
一戸建ての真ん中をドーンと突き抜けている
それはそれはステキなお家でした。

毎日お昼頃から仕事を始め、夜は12時過ぎまでというのが日課だったため、
社長の、これまたロックン・ロールな奥様が
毎晩私たちのために夕飯を作ってくれていました。
半分は家族とはいえ、食べ盛り社員4人分の夕飯を毎晩用意するのは
とっても大変だったと思います。
さらに、近所のとってもおいしい京風うどん屋さんに連れて行ってもらったりとか、
すっっっごくおいしいイタリアンに連れて行っていただいたりなど、
お食事代だけでお給料の倍以上かかっているのでは、、、と
思ってしまうほどおいしいものをいただいていました。

私たちは、まるで家族のようでした。
ヘンな家族。
毎日大体の時間を共有し、毎晩同じものを食し、
同じ仕事をしていました。

その中でもさらに、私の超ご近所に住んでいた一人の同僚とは
帰りはほぼ毎日一緒、2回に1回は行きのバスも一緒
飲みに行くのも一緒、
読むマンガまで一緒、
彼のお父様に車で送っていただいた事も数知れず。

とにかく全部一緒でした。

その彼が立ち上げた会社で、3年前のクリスマスの時期に
また再びお世話になったのです。
そこには、毎日夕飯を一緒に食べた3人の同僚がみんな居ました。
それと、2人、若いホヤホヤデザイナーの男の子が二人。

昔のなじみで雇ってくれたその元・同僚は
その当時とは比べ物にならないほど大人になり、
4人の社員と、当時は居なかった3人の子供を背中にしょって
(年頃で太った、にしても)背中がとっても大きくなったもんだなあ、
と毎日感心しながら仕事っぷりを見ていました。

最終日に、仕事の内容にしては良すぎるくらいのお給料を払ってくれ、
さらに「一緒におもちゃ屋に行こう」と言われ
イブ生まれの、まだ会った事も無い私の娘に
大きな誕生日プレゼントまで買って持たせてくれました。

そのワカモノ事務所は麻布十番で、
地下鉄の駅を降りた所にすぐステキなケーキ屋さんがあり、
ちょっとお給料をいただいて気が大きくなっていた私は
そこで、とっても美味しいクリスマス・ショートケーキを買って
イブの夜なのに、わざわざ娘のためにHappy Birthdayのプレートまでつけてもらい
おおきなオモチャと大きなケーキを持って
ウキウキと地下鉄に乗って帰りました。

残念ながらその日帰った時には娘はもう寝ちゃっていたのだけど、
その時に沢山の人達が乗っていた地下鉄の車中のウキウキ感と、
あのせわしない東京のクリスマスは
今でも鮮明に思い出せます。

それもこれも、今思うとすべてが彼らのおかげなのだなあ、、、
と改めて感謝せずにはいられません。
ペコリ。

2013/07/24

モノサシとヒカク

よく「あの人は自分のモノサシを持っている」と言いますが、
(よく、かどうかは分かりませんが、、、)
私はとにかくその言葉が結構好きで
たまに自分でも使っています。

・家族のモノサシ
・地域のモノサシ
・社会のモノサシ
・国単位のモノサシ
・世界単位のモノサシ
・宇宙単位のモノサシ
・もう四次元すぎて、読めないモノサシ

などなど

その他にもいろんなモノサシがあちらこちらに存在していますが
これは決して比べるためにあるわけではありません。
それぞれの人や社会が
みんな違うんだよ、と主張できる一つのツールだと思います。
比べるのではなく、その存在をタダ認める事が大事です。

それとは逆に、実は存在していないもの
・〇〇と同じモノサシ

これがあるから比較という行為が出てきてしまう。
比較をすると、
より良い、より悪い、
得をしている、損をしている
自分の方がまだマシ、自分の方がタイヘン、
などなど余計な感情が出てきて、
そして「ずるい」などという事になります。
だからもっと自分が良くなるために、
と対立しはじめたりもするのかもしれません。

まずは自分のモノサシをしっかりと持てるようになりたい。
そして、他のモノサシも沢山知りたい、と思います。

まあ一生かけて、なんでしょうけどね。
理想論です、マル



2013/07/21

ホレることの大切さ

今、待ちに待った参議院選挙の開票が終わった所です。
私は少し前から三宅洋平の存在が気になり、追いかけていました。

演説を見るたびに、彼の言っている事を聞くたびに
よし、この人を心から応援しよう!と単純に思いはじめました。
ものすごく単純に、です。
それは、この人を応援したら何か自分に返ってくるかもしれない、とか
ヨノナカを良くするにはこういう人でなくては、なんていう
大それた正義感でもなく、
タダ単に、彼の叫びが私のハラに直接響いたからであります。
まるで私がこよなく愛しているdjembe(アフリカン太鼓)のようにです(笑

要するに、心底ホレたんです。彼のパーソナリティーに。

有権者としての投票って、とても小難しく考えていた所があって、
表面的な情報だけで決めていいのかどうか全く自信がなかったので
今回は投票はやめておこうと思っていたのですが
これはやっぱり彼に一票!という気持ちになってきました。

まあ、日本の住民票が残っている私は
結局在外選挙には登録できなかったらしい、、、のですが。
そして、この思いは日本在住の両親に託して叶えられたのでありまする。
まあ結果、彼らも賛成だったから投票したそうで、
やはり親子ですな、、、と思いつつ(笑

人を応援する時に、小難しい事はあんまり考えなくていいんだな
と思えた、いい機会でした。
(但し、コトを知る義務、というのは怠ってはいけないという事も踏まえて、ですが)

普段自分の生活の中で営まれている
見ている事、得た情報、考えた事、感じた事。
それにピッタリと寄り添う何かが出てきたとき
人はそれにホレ込むのだと思います。

決して人物じゃなくてもいいのです。
モノ、でもコト、でも、なんでも。
だから、それに入れ込むっていう行為それ自体が
自分と、自分を取り巻くすべての環境を
リスペクトする事になるんじゃないかなって思います。

私にとって、それは人であり、絵であり、音楽であり。

こういう強い何かに出会えた時って
明日がもっと良くなる気がしてとっても幸せな気分になったりします。

三宅洋平は結局、議席を確保することができなかったけど
数ヶ月前にデビューしたばかりでの個人票としては異例なほどの票を獲得し、
日本時代に私がどっぷりと浸かっていたサブカルチャー勢力の力強さを
意外なまでに示してくれたとも言えます。
とにかくこれは、彼を応援して投票までに形づけた
約18万人の人達にとっても新しい生活の一面の始まりなんだと思います。

また一つ、楽しみが増えちゃいました。



、、、しかし、現場に居たかったな〜





2013/07/13

faire sortir (let out) : 出す

今日は子供のスタージュなどを一緒にオーガナイズしていた
アートセラピストの友人に久しぶりに会って
ゆっくりとおしゃべりをしました。
私たちの話のテーマはいつも
enfants (子供達)
art (アート)、そして
prendre soin de soi-même (自分自身をケアする)
です。

その友人は色々な経験を踏んで、
そして人生の岐路を何年か前に迎え、病気になり、
今新しいchemin (道)を歩きはじめたところ、
と言った感じでしょうか。
彼女自身がまず、自分をケアする事について考えはじめ
最終的に辿り着いたのがアートセラピーだったそうです。
そして、アートに出会ったらしいです。
今彼女は自分自身のために絵を描き続けています。

私は彼女とは逆方向です。
アートに出会ってから
、、、出会った時期なども覚えていないほど昔ですが、、、
やはり何年か前に人生の岐路を迎え
病気になり、そして自分のケアの事を考えはじめた所
アートセラピーに出会いました。

そんな二人が一緒に仕事をすると、なんだかとても穴を埋め合わせられて
すごく気持ちよく事が進みます。
私にとっては彼女との出会いは、
とても大切な出会いの一つでした。

さて、話が元に戻りますが
prendre soin de soi-même (自分自身をケアする)について。
自分の中に産まれた感情を
小さな子供のそれとは違うやり方で意識的に「出す(faire sortir )」というのは
なんて難しいんだろう、という話していました。

例えば、経験とかプライド、価値観や自分の外側からのイメージなどで
産まれた感情を勝手に変化させて違う形で出してみたり、
またはぐっとガマンして出さなかったり、
大人っていろんな方法を取りますよね。
たまに居ますが。感情を本当にまっすぐそのまま出せる人。
うらやましい限りです。

さて、その後友人宅でおいしいご飯をいただいていた所、
今フランスににバケーションに行っている娘からラブコールがありました。
とても機嫌良く、今日は泳ぎに2回も行っちゃって、
でも水が冷たかったの〜、などと私に話している途中で
急に「ギャーっ」と泣きはじめたので
こちらはビックリ。
どうやら電話中に足の指を角にぶつけたそうで(笑
数分後に落ち着いてから再度電話がかかって来た次第で、
その後は、どうやって足をぶつけてどれくらい痛かったか
という話で終わり、電話を切りました。

その後ふと考えて、もし足をぶつけたのが私だったら、、、
電話口で話している途中に「ギャーッ」とは泣けないよなあ、
なんて思っていました。
周りには友人もいたし、足の指をぶつけてすっごい痛いけど
娘の手前上、機嫌のいい話をしている時に急に号泣はできないなあ、と。
さて、そんな時の行き場の無い感情を
子供のそれとはまた違ったやり方で
しかも意識的に「出す」場合
どうすればいいんでしょ?

なんて思いつつ、答えも見つからないまま
すぐさまディナーの席に戻ったわけなのですが。

人生って勉強の連続ですね、、、。


2013/07/08

人生脚本

かれこれ4、5年ほど前に読んだ交流分析精神科医エリック・バーンによって提唱されたひとつの心理学理論)の本
「人生ドラマの自己分析〜交流分析の実際/杉田峰康 著)を引っぱりだして来た。
最近、なんとなく自分が変わらなければいけない時なのかなあ、という気分になり
本の巻末についていた質問事項に答えてみる事にした。
元々分かっている事だったけど、リストにしてみると分かりやすい。

交流分析の中心となる人生脚本の考え方は、
人間の不健康や不幸の実態を探る上で
生後間もなくの養育者とのふれあいのあり方と、
その後の人生早期の体験がもとになって、
ひとりひとりの人生の青写真ができ上がり、
これが人の一生を左右する原動力の一つとなると言うものである。

今ちょっと、あなたの人生脚本を書き換えてみたい、という方。
やってみたらいかがでしょう。結構ハマります。
ちなみに質問事項内の、「お父さん、お母さん」という部分は一人でも、両親以外の養育者だった人でも代役可能です。ご自分なりに書き換えてみて使ってみてください。
長いですよ〜。


脚本指令・対抗脚本
1、あなたのお母さんはどんな人ですか。お母さんお性格を簡単に述べてください。
2、あなたのお父さんはどんな人ですか。お父さんの性格を簡単に述べてください。

脚本指令・対抗脚本・基本的構え
3、お母さんはあなたをよく褒めましたか。どんな褒め方をしましたか。
4、お母さんはあなたを避難したり、批判したりしたことがありますか。そんな時どんなことを言いましたか。
5、お母さんのしつけの方針はどんなものでしたか。
6、お父さんはあなたをよく褒めましたか。どんな褒め方をしましたか。
7、お父さんはあなたを避難したり、批判したりしたことがありますか。そんな時どんなことを言いましたか。
8、お父さんのしつけの方針はどんなものでしたか。
9、親が与えた罰のうち軽いものはどんなものでしたか。
10、親が与えた罰のうち重いものはどんなものでしたか。
11、どんな罰が最もふつうに与えられましたか。
12、人生や生活について、お母さんはあなたにどんなことをよく言いましたか(モットー、教訓など。例)男はみなケダモノみたいなものよ。これからの人間は大学を出なければ話にならないのよ、など)。
13、人生や生活について、お父さんはあなたにどんなことをよく言いましたか。
14、十歳になるまでに、あなたの家に誰か同居していましたか(例、祖母、姉夫婦)。その人はどんな人でしたか。
15、お母さんはあなたをなににしたがっていましたか。
16、お父さんはあなたをなににしたがっていましたか。
17、あなたはお母さんの望みに近い生き方をしていますか。お父さんの望みに近い生き方をしていますか。どちらですか。
18、あなたはどんな人ですか。自分の性格について述べてください。
19、自分のどういうところが一番好きですか。
20、自分に関して嫌いな点がありますか。

基本的な構え
21、あなたには何かあだ名がありましたか。それにはどんな意味がありましたか。
22、子供時代に、あなたは周りの大人たちから、どんなことを言われましたか(例、いい子、いたずらっ子、親思いの子など)
23、自分にどこかおかしい(異常な)ところがあると思ったことがありますか。あるいはそんな状態になるかもしれないと感じたことがありますか。
24、もし誰かがあなたと意見を異にする場合、徹底的に議論しますか。あるいは妥協したり、折れたりしますか。
25、自分を「うだつのあがらぬ者」と思っていますか。とくに目的もなく人生を過ごしていますか。
26、この前自殺しようと考えたのは、いつですか。
27、誰かの死を願ったことがありますか。それはいつのことですか。

主要な感情
28、あなたのお母さんは、何かの理由で気分を害した時、どんな風にそれを表しましたか。
29、お母さんが気分を害した時、あなたはお母さんを助けようとしましたか。どんなことをしましたか。
30、あなたのお父さんは、何かの理由で気分を害した時、どんな風にそれを表しましたか。
31、お父さんが気分を害した時、あなたはお父さんを助けようとしましたか。どんなことをしましたか。
32、あなたは、子供時代に、ある種の感情、考え、態度を表すことを禁じられていましたか。それはどんなものでしたか。(例、怒り、人の悪口、性的冗談など)
33、あなたは、体に症状が出ることがありますか。それはどんな症状ですか。
34、気分を害したり、不快な目にあったりした時、あなたはとくにどんな感情にかられますか(例、イライラ、怒り、ゆううつ、恐怖、あきらめ等)
35、そんな気持ちを初めていだいた時期を思い出してください。
36、どんな時に、そういう「いやな気持ち」を最もよく体験しますか。

人生に対する結論
37、人生について、あなたなりの確信や信念がありますか。
38、二十歳前に、人生についてどんな考えをもっていましたか。
40、小学校の頃、人生をどんな風に考えていたと思いますか。
41、子供時代に、どんなおとぎ話(童話、物語)が好きでしたか。
42、その話のどの部分が好きでしたか。どんな人物が好きでしたか。
43、今までの生き方を続けるとしたら、あなたはこれから五年後にどうなっていると思いますか。
44、今までの生き方を続けるとしたら、十年後にどうなっていると思いますか。
45、あなたは何歳で死ぬと思いますか。また、どんな死に方をすると思いますか。
46、もし自分の墓石になにかひと言残すとしたら、なんと書きますか(墓碑銘)。
47、ほかの人だったら、あなたの墓碑銘になんと書くでしょう。
48、あなたは、子供時代に、大きくなったら何になりたいと思いましたか。

新たな人生への準備
49、お母さんが、ああいう人でなかったら、今の私は違っていただろうに、と思いますか。どんな点が違っていたと思いますか。
50、お父さんが、ああいう人でなかったら、今の私は違っていただろうに、と思いますか。どんな点が違っていたと思いますか。
51、もし魔法かなにかの力で自分を変えることができるとしたら、あなたあどこを変えたいと思いますか。
52、人生で一番欲しいものは何ですか。
53、あなたにとって一番大きな問題はなんですか。
54、あなたにとって理想的な生活とは、どんなものですか。
55、あなたは自分のどこを変えようと思いますか。
56、そのためには何をするつもりですか。
57、もしあなたが変わった場合、どういう風に以前の不適応に陥るのを防ぐことができるのですか。
58、あなたが確かに変わった場合、あなたや家族、さらには周囲の人びとは、何をもとにそう判断したらいいでしょうか。あなたが変わった時の姿を具体的に述べてみてください。

いろんなこと・共有

いろんなことを
もっと人とシェアできたらいいだろうなあ
と思います。

と、ある日本のドラマの話をある人にされたことを思い出し、
内容も聞いたわけでもなかったから
見てみたら、
ほんのちょびっとだけ私と似たシチュエーションの人のお話でした。
自分と重なる部分が勝手に助長されて
なんだか悲劇的な気分に勝手になっちゃって
それはそれは、とても見てられなかったのだけれど
その時、どうしてあの人は私にこのドラマの話をしたのだろう
と、本当に責めたい気持ちになってしまいました。
でもよく考えたら、私が少しでもその気持ちをシェアできるのではないかと
思ってくれたのだと、思えました。

また別の日、とある人から、
まだ自分が若かった頃、母親がよく家で泣いていた
という話を聞きました。
すごく悲しそうなというか、切なそうな顔をしながら
そんな話をするもんだから(と勝手に思っただけなのかも)
あー、私もそれ、よくやっちゃうんだよねー
とは言えず、黙ってしまいました。
まだ5歳の娘の前でしか泣くことができない自分が
なんだかものすごく情けなくなってしまって
そして、娘が大きくなった時に
こんな風に「私の母親はよく子供の頃、、、」なんて
誰かに切なそうに話すのかしら、なんて
考えていて
まだ小さい娘には、本当に世話をかけているんだなあと
思いました。

でもその時にすぐに
もっと簡単に自分の気持ちを話せていれば
きっとこんなに考え込むことも無く
もっと軽い気持ちになれていたのかもしれないし、
教えてくれた人とドラマの感想などを話し合えれば
意外とこんなこと、たいしたことないんだと、
すぐに思えるのかもしれません。


人に頼み事をすることや、迷惑をかけてみることは
愛情表現の一つなんだということを
どこかで読んだ覚えがありまして、
それってもしかしたら、本当なのかもしれないな、
なんて。

少しずつでも自分の気持ちを
もっと人とシェアできたらいいな、と
思ったわけです。

2013/07/04

どっぷり

久々に日本カルチャーどっぷりなつぶやき達。
つい数年前まで、私もこんな中に
どーっぷりと浸かっていました、、、。
http://www.lilyfranky.com/tsubuyaki/

こちらもけっこうオススメ
http://www.lilyfranky.com/top/ikea/

ここ1年以上、夜は何もしない!って決めていて
動画観たり、本読んだり、
友達とくだらないチャットをしたり、
こんなサイトを見てみたり。

毎日ゴハン作ったり掃除したり
植木に水やったり
娘と遊んだり、娘のことを叱ったり。

そして夜はゼロの時間。
頭をあまり動かさないと決めています。

あと数年、こんな生活でも良いのかな〜
と思っています。とっても気に入っています。

が、、、あと数年だと思います(笑

2013/07/02

ケアナとカラダ

ちょっとしたきっかけで
20年ほど前(!)に日本で見た
Pina Bauschの作品を思い出した。

ちなみにお時間ある方
Pinaの映画、こちらでどうぞ(Arteをクリック)

http://www.myskreen.com/documentaire/arts/4032153-pina/

あれは、横浜だったかな。
寒い寒い海風の中、駅から遠いホールまで歩いて
大学の同級生と見に行ったのを覚えている。
チケットは一瞬で売り切れ、
やっとのことで取った場所は
舞台からそれはそれは遠くて、
元々目の悪い私は眼鏡を斜めにしたりして
夢中になってかじりついて観たのを覚えている。
すごく良くて毛穴というケアナが開ききったような感覚を
今でも忘れられない。

残念なことに、もうかれこれ16年ほど踊っていないので
その時に使っていたほとんどの筋肉や神経は
すでに引出しの奥の方にしまわれてしまって
忘れ去られてしまっている。
けど、何かのきっかけで
たまにそれがウズウズとする。
何かを見て、自分が踊りたくなった時だ。
もちろんガチガチに固まってしまった筋肉は
もう元に戻すことは難しいし
無くしてしまった感覚は取り戻せないので
気持ちだけが踊っているのだけれど、、、。

指の先から髪の毛の先まで神経がピーンと通っている感覚が
とっても好きだった。
今はもう無い。
せいぜい、小さなケアナ達がそれを思い出して
キャッキャと笑っているような
くすぐったい感じだけが残っている。
でもたまにそんな感触を味わうのも
悪くないな、と思えたりする。


2013/07/01

とにかく

辛抱治朗さんと岩本光弘さんの海難事故と救出の経緯を
読んだり見たりしていました。
彼の「日本人でよかった、」という言葉が
心に直接届きました。
とにかく正直な気持ちだったのでしょう。

すぐに1992年のグアムレースの「たか号」の海難事故を思い出しました。
私の父もヨットをします。
父はちょうどその時、
日本セーリング連盟のリジかなにか(要確認)を勤めていて
何日も寝ずに電話の対応や連絡などに追われていたから
記憶に強く残っている事故の一つです。

たか号が転覆した後、救命ボートで漂流し、
残り5人のクルーが一人一人亡くなり、27日後に
偶然通りかかった船に助けられた時は
佐野三治さん、一人だけが生き残っていました。
講演会の簡単な内容です
http://www.jofukuji.or.jp/lec_sano.htm

1年ほどしてから、ある機会に佐野さんを見かけました。
日に焼けて丈夫そうな人だなあ、という印象。
とにかく最初に思ったのが
「この人は、とにかく、生きたんだ」
ということ。
それをとても強く感じたのを覚えています。


今回の事故も賛否両論でしょうが、
私はとにかく、助かったお二人が
どれだけ自分の命に感謝しているのか
測り知れないほどなのでは、と思います。

2013/06/30

3拍子


http://www.youtube.com/watch?v=x-wsUUD7Zs8
三輪さんさすが!
おっしゃる通り。
イサギ悪い・ズルい・ハッキリしない
の3拍子じゃないですか。自民党。
長いことそれがまかり通って来たのも本当に驚きだけど
それをさらに継承しようとしている所がさらに驚き。

そして分かりやすい、魂のこもった三輪批判に対しての
応対のしかたがチンプンカンプン。
ぶつけられたソウルな意見には、
あなたのソウルで返事すれば良いのでは・・・?

決まったマニュアルから抜けられない
超・依存型、
まずいですね、これは。

2013/06/27

距離感

今日仕事が終わって娘が数日ぶりに戻ってきました。
今は彼女の父親と1週間交替で面倒を見ています。
今週はそれでも、歯医者や眼科に連れて行ったりと
2日おきくらいには彼女に会っていたのだけれど、
それでも1週間後に家にやってくると
私の知らない娘がそこに居ます。
知らない歌を歌っていたり、
ちょっと頭が良さげになっていたり
数字が少し読めるようになっていたり。

今日は「エ・ミ・ドゥ、セクシー!エ・ミ・ドゥ、セクシー!」
という歌をひたすらセクシーに、繰り返し歌っていました。
どこかで聞いていた音楽なのでしょう。
あんなセクシーな声を出す娘は見たことがありません。

よる、シャワーに入ったら、耳の穴の掃除をすることを伝えると、

それなら、タオルを片耳に入れて、それを反対側の耳から出して
みぎ、ひだりとゴシゴシすればすっごいキレイになるよ、

みたいなことを言ったりします。

それじゃ頭の中も空っぽになっちゃうよ、と言うと
大丈夫だよ、耳だけだもん、と。

すでに試してみたのか、と一瞬不安に、、、(笑
どこで聞いてきたのかしら。
ずいぶん得意そうに言っていました。
考えがだんだんと構造的になって来ている、、、。ビックリ!

ずっと一緒に居ると気になりすぎてついつい手を出しすぎてしまう母と
ずっと一緒に居ると距離が縮まりすぎてついつい甘えすぎてしまう娘。

お互い「意外と」神経質なので
これくらいの距離感も悪くはないのかな〜、なんて

、、、最近は都合良く思うようにしています。

Cadre (枠組み)



今日はdjembe(ジェンベ)というアフリカ太鼓のセッションに行ってきた。
私が習っている先生達と、上級の人達(25年のキャリアとか!)での
インプロのコンサートの後、生徒達全員がインプロに参加。
20人ほどでの1時間ほどのノンストップセッション。
 素晴らしかった!
こんなに空っぽになったのは本当に久しぶり。
その後のビールがおいしかったこと(笑

ジェンベには楽譜はない。理論もない。
人から人へと伝えられてきた、丸裸なまんまの音楽。
でもちゃんと決まったリズムがあるし、
そのリズムにはある程度右手と左手の順番も決まっている。
漁師のリズム、農民のリズム、儀式のリズム、結婚式のリズム、、、。
多少のバリエーションはあるものの、決まったリズムはどこでも同じ。
演奏する時は、Djouns(ジュン)という大きな太鼓達がベースのリズムを刻み、
それに合わせてジェンベの奏者は色づけをしていく。
そこに、ダンサーや歌が加わってものすごい厚みのある空間へと変化して行く。

その中で、ソロ奏者は自分の思うままに自由にリズムを刻み、
周りはそれを支えつつ、色づけもしつつ、
でも基本のリズムを崩さない。
いわゆる、ベースのリズム(枠組み)をちゃんと作ってから、
ソロ奏者はその枠組みの中で、あるいはそこからはみ出ようと、
自由に演奏するわけである。

その後、ビールを飲みながらたまたま人種とか社会とか宗教とかの話になって
cadre(枠組み)」という言葉が出てきた。
人はどこまで枠組みが必要なのか、という話。
もちろんなければないほど良い、という人と、
ある程度ないとダメだという人がいる。

そこで、なぜかふと、リリーフランキーの言ったことを思い出した。
「自由気ままな、なんの制約もない生活の中に本物の孤独なんて無い。
本物の孤独はありきたりな社会の中にある。
本物の不安は平凡な日常の片隅にある」

私的には、人間の身体それ自体がすでに精神の枠組みで、
人間の精神はその枠組みに宿りながらも
どこかで、そこからはみ出ようとしているのではないか、とも思う。
自由を求めているからである。
ただし、「はみ出る」ためにはそれを覆う「枠組み」が必要なわけで、
でもそこから「はみ出る」と、孤独になり、不安になってしまう。
それでは自由ではない。

では、本当の意味での自由とはなんなのか。

リリー・フランキーはこうも言っている
「ありきたりなことが真面目に行われているからこそ
人間のエネルギーはつくり出されるのだろう。」

どちらかというと、私はコレに大賛成である。
だいさんせい、というよりかハッと気づかされたのを覚えている。
ありきたりな自分の枠組みを、真面目に作るのである。
それからというものできる範囲で、
ありきたりなことを真面目にするようにはしているが
なにせ、慣れてないので、まだ初心者である。
それも、もっと自由になるために、、、である。

ジェンベからなぜかリリーフランキーへと飛んでしまったのが
なぜかよくわかりませんが。

とにかく今日のセッションの興奮と、その後の思わぬ強かったビールのせいで
早朝に目が覚めてしまって、
ダラダラとつづってしまいました。
オヤスミナサイ

2013/06/23

・・たいこと

髪の毛切りたい

本たくさん読みたい

お花の絵描きたい

自転車もっと直したい

展望台行きたい

顕微鏡を覗いてみたい

水族館行きたい


山の中で遊びたい


美味しいラーメン食べたい

江戸前のおそばが食べたい

恵比寿でゴハン食べたい

日本の友達に会いたーい!


もーや

自分のサイト全取っ替えしたくて
頑張っていますが。
もーや!
誰かやってぇ、、、と
一人でコーヒーがぶがぶ飲みながら(ま、一日3杯が限界なのだけれど)
悲鳴を上げております。
もうじき公開、、、のはず。

2013/06/21

ぷりんた

確かスペインのアーティストだったか、
保証期間が過ぎた、壊れたプリンターの修理を
それ相応の値段で修理してくれる所を探しまくる、
というビデオをずいぶん前に見て、やたら関心した覚えがありますのです。

こんなビデオでした。

そのプリンターはただ単にインクヘッドかなにかが壊れただけで
カートリッジ部分さえ交換すれば元通り、他の部品はすべて良好だったわけなのだけど、
そんなプリンターをどこへ持って行っても
「修理するより新しいのを買った方が安いですよ〜」と言われ続け、
あちらこちらに納得いかないと申し立てをしたり、
メーカーに手紙を書いてみたりと挑戦するのですが
結局、全部品を交換という無謀な修理にしかならず、
自分で修理する方法をなんとかネットで見つけ出し、自力で直す。
という一連の彼の挑戦が
痛ましくも頼もしいストーリーでした。
(誰かこのビデオ見つけたら教えてください!)

なぜこれを思い出したかと言うと
先日、やはり私のプリンターのインクヘッドが壊れて
黒のインクだけが出なくなり
あと5日で保証が切れるという所でギリギリ修理に出したところ、
2週間後、無料で新品のプリンターが戻ってきたのでした。

他の部分は良好だったのに。どーして????

そしてあの「元・私の」だったプラスチックの塊のプリンターは、どこへ行き着くのかしら?と思いはじめたら気になっちゃって、
メーカーに問い合わせようとした所
プリンターのシリアルナンバーが登録されておらず、
メールさえも送れませんでした。

あのままボーーン、と捨てられてなければいいんだけど、、、。

なんて返事してくるのかしらね、メーカーさん。
気になってしかたがありません。

ゲッツするチカラ

最近よく、
「欲しい」とか「したい」とか
そういうものをつかみ取る力、みたいなものが
私って欠けてるな〜。なんて思います。
なんでなのでしょ。とても大切だし必要なことなんですけどね。
上手くいかないことが怖いのかしら。
サバイバル力を向上させたい今日この頃。
人生一度きり、ですから。

2013/06/19

感動の大きさ

Power of Ten につながる、大きさのお話。
最近、感動するモノの、
なんていうか物理的な大きさが、やたら小さいんです。
いわゆるそこら辺に咲いている小さな花とかで
うわあああ、って季節を感じてしまったり
すれ違う子供(自分よりは小さい)のあどけなさ、とかなんかで、
命の大きさを改めて知ってしまったりとか。

とっても若い時は
「今日の太陽、でっか!」とか(自分より大きい)
雪山のてっぺんから見下げる壮大な景色とか(こちらも自分より大きい)
それくらいデカくないともう、
感動の琴線に触れることなんてなかったんですけどね。

でも、どちらも実はおんなじなんです。

マクロコズムかミクロコズムか。

最近ミクロな自分が、ちょっと嬉しかったりします。 

2013/06/11

私の制作の原点

って、このビデオに集約されている気がします。
始めて見たとき、衝撃的だったんですよね。すごく。
今でもその感動を覚えています。いつだったかなー。
http://www.youtube.com/watch?v=0fKBhvDjuy0

まだコンピューターグラフィックなない時代ですよ。
それを心に銘じて見てくださいね。

そして同じ時代の私がファンのタルコフスキー「惑星ソラリス」
https://www.youtube.com/watch?v=HEOfJQX2qdQ
(トレーラーのみですよ)

どちらもおんなじ感じなんです。私的に。

ちなみにこの時代の私の両親の写真も、
なんだかおんなじ感じの雰囲気かもしだしています。
この時代すごく産まれてみたかったっす。

ぱちぱちシュワ〜

またプール行っちゃいました。
今日一番気に入った瞬間を発表します。

誰かのすぐ後ろにピッタリとくっついて、泳ぐ(笑

もう小さな泡だらけでほとんど何も見えないんです。
やってみたことあります?
顔と身体中に前人のつくり出した小さな泡が
シュワシュワ〜、ぱちぱち〜と当たって
なんだか柔らかいものに包まれたような、ソフトな気持ちになります。

ヘンなフェチだと思われるでしょうから、
もしも試すなら1日一回だけ、同じレーンでは禁止です。

2013/06/07

道に落ちてるお豆腐

たまーに落ち込んでる時とか
自分のことが、
道に落ちてる、なんか、みたいに
思えてくる時があるんです。
人知れずひっそりと。すっごい壊れやすいもの。
で、ひっそりすぎるからして、踏まれてぐちゃっと崩れてしまうわけです。
ふと、私って、道に落ちてるお豆腐みたいだな、なんて思ったことがあります。

というわけで、
もしももしも道にお豆腐がひっそりと落ちてたら
踏まないでそーっとしておいてやってください。(笑

深くなるトキ

プールで泳いでると
あるじゃないですか、急に深くなる場所。
ぐぐーっと、遠浅の海岸がどーんと深くなるように。
ずっと泳いでると、
あの場所で、頭がふわーっとするんです。
すごく怖いのと同時に
なんか変な一体感が(笑
なんでしょう、水と一体化するんでしょうかね。

2013/05/11

毎日まいにち

毎日同じこと繰り返し、が
いい時もあるし、悪い時もある。
変化がないと
生きている感じがしないこの私は
幸か不幸か。
同じ時間に、同じこと、が起きるのが
昔はとてもコワかった。
今はわりと平気、、、どころか、
むしろ好きかも。