2013/07/24

モノサシとヒカク

よく「あの人は自分のモノサシを持っている」と言いますが、
(よく、かどうかは分かりませんが、、、)
私はとにかくその言葉が結構好きで
たまに自分でも使っています。

・家族のモノサシ
・地域のモノサシ
・社会のモノサシ
・国単位のモノサシ
・世界単位のモノサシ
・宇宙単位のモノサシ
・もう四次元すぎて、読めないモノサシ

などなど

その他にもいろんなモノサシがあちらこちらに存在していますが
これは決して比べるためにあるわけではありません。
それぞれの人や社会が
みんな違うんだよ、と主張できる一つのツールだと思います。
比べるのではなく、その存在をタダ認める事が大事です。

それとは逆に、実は存在していないもの
・〇〇と同じモノサシ

これがあるから比較という行為が出てきてしまう。
比較をすると、
より良い、より悪い、
得をしている、損をしている
自分の方がまだマシ、自分の方がタイヘン、
などなど余計な感情が出てきて、
そして「ずるい」などという事になります。
だからもっと自分が良くなるために、
と対立しはじめたりもするのかもしれません。

まずは自分のモノサシをしっかりと持てるようになりたい。
そして、他のモノサシも沢山知りたい、と思います。

まあ一生かけて、なんでしょうけどね。
理想論です、マル



2013/07/21

ホレることの大切さ

今、待ちに待った参議院選挙の開票が終わった所です。
私は少し前から三宅洋平の存在が気になり、追いかけていました。

演説を見るたびに、彼の言っている事を聞くたびに
よし、この人を心から応援しよう!と単純に思いはじめました。
ものすごく単純に、です。
それは、この人を応援したら何か自分に返ってくるかもしれない、とか
ヨノナカを良くするにはこういう人でなくては、なんていう
大それた正義感でもなく、
タダ単に、彼の叫びが私のハラに直接響いたからであります。
まるで私がこよなく愛しているdjembe(アフリカン太鼓)のようにです(笑

要するに、心底ホレたんです。彼のパーソナリティーに。

有権者としての投票って、とても小難しく考えていた所があって、
表面的な情報だけで決めていいのかどうか全く自信がなかったので
今回は投票はやめておこうと思っていたのですが
これはやっぱり彼に一票!という気持ちになってきました。

まあ、日本の住民票が残っている私は
結局在外選挙には登録できなかったらしい、、、のですが。
そして、この思いは日本在住の両親に託して叶えられたのでありまする。
まあ結果、彼らも賛成だったから投票したそうで、
やはり親子ですな、、、と思いつつ(笑

人を応援する時に、小難しい事はあんまり考えなくていいんだな
と思えた、いい機会でした。
(但し、コトを知る義務、というのは怠ってはいけないという事も踏まえて、ですが)

普段自分の生活の中で営まれている
見ている事、得た情報、考えた事、感じた事。
それにピッタリと寄り添う何かが出てきたとき
人はそれにホレ込むのだと思います。

決して人物じゃなくてもいいのです。
モノ、でもコト、でも、なんでも。
だから、それに入れ込むっていう行為それ自体が
自分と、自分を取り巻くすべての環境を
リスペクトする事になるんじゃないかなって思います。

私にとって、それは人であり、絵であり、音楽であり。

こういう強い何かに出会えた時って
明日がもっと良くなる気がしてとっても幸せな気分になったりします。

三宅洋平は結局、議席を確保することができなかったけど
数ヶ月前にデビューしたばかりでの個人票としては異例なほどの票を獲得し、
日本時代に私がどっぷりと浸かっていたサブカルチャー勢力の力強さを
意外なまでに示してくれたとも言えます。
とにかくこれは、彼を応援して投票までに形づけた
約18万人の人達にとっても新しい生活の一面の始まりなんだと思います。

また一つ、楽しみが増えちゃいました。



、、、しかし、現場に居たかったな〜





2013/07/13

faire sortir (let out) : 出す

今日は子供のスタージュなどを一緒にオーガナイズしていた
アートセラピストの友人に久しぶりに会って
ゆっくりとおしゃべりをしました。
私たちの話のテーマはいつも
enfants (子供達)
art (アート)、そして
prendre soin de soi-même (自分自身をケアする)
です。

その友人は色々な経験を踏んで、
そして人生の岐路を何年か前に迎え、病気になり、
今新しいchemin (道)を歩きはじめたところ、
と言った感じでしょうか。
彼女自身がまず、自分をケアする事について考えはじめ
最終的に辿り着いたのがアートセラピーだったそうです。
そして、アートに出会ったらしいです。
今彼女は自分自身のために絵を描き続けています。

私は彼女とは逆方向です。
アートに出会ってから
、、、出会った時期なども覚えていないほど昔ですが、、、
やはり何年か前に人生の岐路を迎え
病気になり、そして自分のケアの事を考えはじめた所
アートセラピーに出会いました。

そんな二人が一緒に仕事をすると、なんだかとても穴を埋め合わせられて
すごく気持ちよく事が進みます。
私にとっては彼女との出会いは、
とても大切な出会いの一つでした。

さて、話が元に戻りますが
prendre soin de soi-même (自分自身をケアする)について。
自分の中に産まれた感情を
小さな子供のそれとは違うやり方で意識的に「出す(faire sortir )」というのは
なんて難しいんだろう、という話していました。

例えば、経験とかプライド、価値観や自分の外側からのイメージなどで
産まれた感情を勝手に変化させて違う形で出してみたり、
またはぐっとガマンして出さなかったり、
大人っていろんな方法を取りますよね。
たまに居ますが。感情を本当にまっすぐそのまま出せる人。
うらやましい限りです。

さて、その後友人宅でおいしいご飯をいただいていた所、
今フランスににバケーションに行っている娘からラブコールがありました。
とても機嫌良く、今日は泳ぎに2回も行っちゃって、
でも水が冷たかったの〜、などと私に話している途中で
急に「ギャーっ」と泣きはじめたので
こちらはビックリ。
どうやら電話中に足の指を角にぶつけたそうで(笑
数分後に落ち着いてから再度電話がかかって来た次第で、
その後は、どうやって足をぶつけてどれくらい痛かったか
という話で終わり、電話を切りました。

その後ふと考えて、もし足をぶつけたのが私だったら、、、
電話口で話している途中に「ギャーッ」とは泣けないよなあ、
なんて思っていました。
周りには友人もいたし、足の指をぶつけてすっごい痛いけど
娘の手前上、機嫌のいい話をしている時に急に号泣はできないなあ、と。
さて、そんな時の行き場の無い感情を
子供のそれとはまた違ったやり方で
しかも意識的に「出す」場合
どうすればいいんでしょ?

なんて思いつつ、答えも見つからないまま
すぐさまディナーの席に戻ったわけなのですが。

人生って勉強の連続ですね、、、。


2013/07/08

人生脚本

かれこれ4、5年ほど前に読んだ交流分析精神科医エリック・バーンによって提唱されたひとつの心理学理論)の本
「人生ドラマの自己分析〜交流分析の実際/杉田峰康 著)を引っぱりだして来た。
最近、なんとなく自分が変わらなければいけない時なのかなあ、という気分になり
本の巻末についていた質問事項に答えてみる事にした。
元々分かっている事だったけど、リストにしてみると分かりやすい。

交流分析の中心となる人生脚本の考え方は、
人間の不健康や不幸の実態を探る上で
生後間もなくの養育者とのふれあいのあり方と、
その後の人生早期の体験がもとになって、
ひとりひとりの人生の青写真ができ上がり、
これが人の一生を左右する原動力の一つとなると言うものである。

今ちょっと、あなたの人生脚本を書き換えてみたい、という方。
やってみたらいかがでしょう。結構ハマります。
ちなみに質問事項内の、「お父さん、お母さん」という部分は一人でも、両親以外の養育者だった人でも代役可能です。ご自分なりに書き換えてみて使ってみてください。
長いですよ〜。


脚本指令・対抗脚本
1、あなたのお母さんはどんな人ですか。お母さんお性格を簡単に述べてください。
2、あなたのお父さんはどんな人ですか。お父さんの性格を簡単に述べてください。

脚本指令・対抗脚本・基本的構え
3、お母さんはあなたをよく褒めましたか。どんな褒め方をしましたか。
4、お母さんはあなたを避難したり、批判したりしたことがありますか。そんな時どんなことを言いましたか。
5、お母さんのしつけの方針はどんなものでしたか。
6、お父さんはあなたをよく褒めましたか。どんな褒め方をしましたか。
7、お父さんはあなたを避難したり、批判したりしたことがありますか。そんな時どんなことを言いましたか。
8、お父さんのしつけの方針はどんなものでしたか。
9、親が与えた罰のうち軽いものはどんなものでしたか。
10、親が与えた罰のうち重いものはどんなものでしたか。
11、どんな罰が最もふつうに与えられましたか。
12、人生や生活について、お母さんはあなたにどんなことをよく言いましたか(モットー、教訓など。例)男はみなケダモノみたいなものよ。これからの人間は大学を出なければ話にならないのよ、など)。
13、人生や生活について、お父さんはあなたにどんなことをよく言いましたか。
14、十歳になるまでに、あなたの家に誰か同居していましたか(例、祖母、姉夫婦)。その人はどんな人でしたか。
15、お母さんはあなたをなににしたがっていましたか。
16、お父さんはあなたをなににしたがっていましたか。
17、あなたはお母さんの望みに近い生き方をしていますか。お父さんの望みに近い生き方をしていますか。どちらですか。
18、あなたはどんな人ですか。自分の性格について述べてください。
19、自分のどういうところが一番好きですか。
20、自分に関して嫌いな点がありますか。

基本的な構え
21、あなたには何かあだ名がありましたか。それにはどんな意味がありましたか。
22、子供時代に、あなたは周りの大人たちから、どんなことを言われましたか(例、いい子、いたずらっ子、親思いの子など)
23、自分にどこかおかしい(異常な)ところがあると思ったことがありますか。あるいはそんな状態になるかもしれないと感じたことがありますか。
24、もし誰かがあなたと意見を異にする場合、徹底的に議論しますか。あるいは妥協したり、折れたりしますか。
25、自分を「うだつのあがらぬ者」と思っていますか。とくに目的もなく人生を過ごしていますか。
26、この前自殺しようと考えたのは、いつですか。
27、誰かの死を願ったことがありますか。それはいつのことですか。

主要な感情
28、あなたのお母さんは、何かの理由で気分を害した時、どんな風にそれを表しましたか。
29、お母さんが気分を害した時、あなたはお母さんを助けようとしましたか。どんなことをしましたか。
30、あなたのお父さんは、何かの理由で気分を害した時、どんな風にそれを表しましたか。
31、お父さんが気分を害した時、あなたはお父さんを助けようとしましたか。どんなことをしましたか。
32、あなたは、子供時代に、ある種の感情、考え、態度を表すことを禁じられていましたか。それはどんなものでしたか。(例、怒り、人の悪口、性的冗談など)
33、あなたは、体に症状が出ることがありますか。それはどんな症状ですか。
34、気分を害したり、不快な目にあったりした時、あなたはとくにどんな感情にかられますか(例、イライラ、怒り、ゆううつ、恐怖、あきらめ等)
35、そんな気持ちを初めていだいた時期を思い出してください。
36、どんな時に、そういう「いやな気持ち」を最もよく体験しますか。

人生に対する結論
37、人生について、あなたなりの確信や信念がありますか。
38、二十歳前に、人生についてどんな考えをもっていましたか。
40、小学校の頃、人生をどんな風に考えていたと思いますか。
41、子供時代に、どんなおとぎ話(童話、物語)が好きでしたか。
42、その話のどの部分が好きでしたか。どんな人物が好きでしたか。
43、今までの生き方を続けるとしたら、あなたはこれから五年後にどうなっていると思いますか。
44、今までの生き方を続けるとしたら、十年後にどうなっていると思いますか。
45、あなたは何歳で死ぬと思いますか。また、どんな死に方をすると思いますか。
46、もし自分の墓石になにかひと言残すとしたら、なんと書きますか(墓碑銘)。
47、ほかの人だったら、あなたの墓碑銘になんと書くでしょう。
48、あなたは、子供時代に、大きくなったら何になりたいと思いましたか。

新たな人生への準備
49、お母さんが、ああいう人でなかったら、今の私は違っていただろうに、と思いますか。どんな点が違っていたと思いますか。
50、お父さんが、ああいう人でなかったら、今の私は違っていただろうに、と思いますか。どんな点が違っていたと思いますか。
51、もし魔法かなにかの力で自分を変えることができるとしたら、あなたあどこを変えたいと思いますか。
52、人生で一番欲しいものは何ですか。
53、あなたにとって一番大きな問題はなんですか。
54、あなたにとって理想的な生活とは、どんなものですか。
55、あなたは自分のどこを変えようと思いますか。
56、そのためには何をするつもりですか。
57、もしあなたが変わった場合、どういう風に以前の不適応に陥るのを防ぐことができるのですか。
58、あなたが確かに変わった場合、あなたや家族、さらには周囲の人びとは、何をもとにそう判断したらいいでしょうか。あなたが変わった時の姿を具体的に述べてみてください。

いろんなこと・共有

いろんなことを
もっと人とシェアできたらいいだろうなあ
と思います。

と、ある日本のドラマの話をある人にされたことを思い出し、
内容も聞いたわけでもなかったから
見てみたら、
ほんのちょびっとだけ私と似たシチュエーションの人のお話でした。
自分と重なる部分が勝手に助長されて
なんだか悲劇的な気分に勝手になっちゃって
それはそれは、とても見てられなかったのだけれど
その時、どうしてあの人は私にこのドラマの話をしたのだろう
と、本当に責めたい気持ちになってしまいました。
でもよく考えたら、私が少しでもその気持ちをシェアできるのではないかと
思ってくれたのだと、思えました。

また別の日、とある人から、
まだ自分が若かった頃、母親がよく家で泣いていた
という話を聞きました。
すごく悲しそうなというか、切なそうな顔をしながら
そんな話をするもんだから(と勝手に思っただけなのかも)
あー、私もそれ、よくやっちゃうんだよねー
とは言えず、黙ってしまいました。
まだ5歳の娘の前でしか泣くことができない自分が
なんだかものすごく情けなくなってしまって
そして、娘が大きくなった時に
こんな風に「私の母親はよく子供の頃、、、」なんて
誰かに切なそうに話すのかしら、なんて
考えていて
まだ小さい娘には、本当に世話をかけているんだなあと
思いました。

でもその時にすぐに
もっと簡単に自分の気持ちを話せていれば
きっとこんなに考え込むことも無く
もっと軽い気持ちになれていたのかもしれないし、
教えてくれた人とドラマの感想などを話し合えれば
意外とこんなこと、たいしたことないんだと、
すぐに思えるのかもしれません。


人に頼み事をすることや、迷惑をかけてみることは
愛情表現の一つなんだということを
どこかで読んだ覚えがありまして、
それってもしかしたら、本当なのかもしれないな、
なんて。

少しずつでも自分の気持ちを
もっと人とシェアできたらいいな、と
思ったわけです。

2013/07/04

どっぷり

久々に日本カルチャーどっぷりなつぶやき達。
つい数年前まで、私もこんな中に
どーっぷりと浸かっていました、、、。
http://www.lilyfranky.com/tsubuyaki/

こちらもけっこうオススメ
http://www.lilyfranky.com/top/ikea/

ここ1年以上、夜は何もしない!って決めていて
動画観たり、本読んだり、
友達とくだらないチャットをしたり、
こんなサイトを見てみたり。

毎日ゴハン作ったり掃除したり
植木に水やったり
娘と遊んだり、娘のことを叱ったり。

そして夜はゼロの時間。
頭をあまり動かさないと決めています。

あと数年、こんな生活でも良いのかな〜
と思っています。とっても気に入っています。

が、、、あと数年だと思います(笑

2013/07/02

ケアナとカラダ

ちょっとしたきっかけで
20年ほど前(!)に日本で見た
Pina Bauschの作品を思い出した。

ちなみにお時間ある方
Pinaの映画、こちらでどうぞ(Arteをクリック)

http://www.myskreen.com/documentaire/arts/4032153-pina/

あれは、横浜だったかな。
寒い寒い海風の中、駅から遠いホールまで歩いて
大学の同級生と見に行ったのを覚えている。
チケットは一瞬で売り切れ、
やっとのことで取った場所は
舞台からそれはそれは遠くて、
元々目の悪い私は眼鏡を斜めにしたりして
夢中になってかじりついて観たのを覚えている。
すごく良くて毛穴というケアナが開ききったような感覚を
今でも忘れられない。

残念なことに、もうかれこれ16年ほど踊っていないので
その時に使っていたほとんどの筋肉や神経は
すでに引出しの奥の方にしまわれてしまって
忘れ去られてしまっている。
けど、何かのきっかけで
たまにそれがウズウズとする。
何かを見て、自分が踊りたくなった時だ。
もちろんガチガチに固まってしまった筋肉は
もう元に戻すことは難しいし
無くしてしまった感覚は取り戻せないので
気持ちだけが踊っているのだけれど、、、。

指の先から髪の毛の先まで神経がピーンと通っている感覚が
とっても好きだった。
今はもう無い。
せいぜい、小さなケアナ達がそれを思い出して
キャッキャと笑っているような
くすぐったい感じだけが残っている。
でもたまにそんな感触を味わうのも
悪くないな、と思えたりする。


2013/07/01

とにかく

辛抱治朗さんと岩本光弘さんの海難事故と救出の経緯を
読んだり見たりしていました。
彼の「日本人でよかった、」という言葉が
心に直接届きました。
とにかく正直な気持ちだったのでしょう。

すぐに1992年のグアムレースの「たか号」の海難事故を思い出しました。
私の父もヨットをします。
父はちょうどその時、
日本セーリング連盟のリジかなにか(要確認)を勤めていて
何日も寝ずに電話の対応や連絡などに追われていたから
記憶に強く残っている事故の一つです。

たか号が転覆した後、救命ボートで漂流し、
残り5人のクルーが一人一人亡くなり、27日後に
偶然通りかかった船に助けられた時は
佐野三治さん、一人だけが生き残っていました。
講演会の簡単な内容です
http://www.jofukuji.or.jp/lec_sano.htm

1年ほどしてから、ある機会に佐野さんを見かけました。
日に焼けて丈夫そうな人だなあ、という印象。
とにかく最初に思ったのが
「この人は、とにかく、生きたんだ」
ということ。
それをとても強く感じたのを覚えています。


今回の事故も賛否両論でしょうが、
私はとにかく、助かったお二人が
どれだけ自分の命に感謝しているのか
測り知れないほどなのでは、と思います。